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2クール目スタート記念 五十嵐卓哉(監督)×榎戸洋司(脚本)ロングインタビュー

――いよいよ"日死の巫女(ヨウ・ミズノ)"編もクライマックスにさしかかって、ひとまず折り返し地点に来た感じがありますが……。

榎戸 「学園モノ」として観られているのかどうか、客観的にはよくわからないんですよね。どう思います?

――"日死の巫女"編に入ってからは、ぐっと学園モノっぽい雰囲気が出てきたと思いますよ。特に、あの野球回(第10話)とか……(笑)。

榎戸 時期を考えると6月くらいなんだけど、6月に学校全体でやるイベントって何があるんだろう? って悩んだんですよ。せっかく舞台が南の島なんだから、潮干狩り大会がいいんじゃないか、って考えてたこともあるんだけど(笑)。全員水着で参加! みたいな。

――そんな計画があったんですね(笑)。

榎戸 でも、監督とか(プロデューサーの)大藪君の反応が芳しくなくて(笑)。それであわてて野球に変えたんですけど、自分でも「変えてよかった……」と。

――潮干狩り大会にしていたら、どうなってたことか(笑)。

榎戸 どう盛り上げればいいんだろう、っていう。「俺はサザエを獲ったぜ! 10点!」とか?(笑)

――あはは(笑)。これまでを振り返ってみて、手ごたえはいかがですか?

榎戸 サカナちゃんの人気が高いのは、もちろん嬉しかったけど、ちょっと予想以上でした(笑)。
五十嵐 サカナちゃんの人気が出たのは、いろんな意味で仕掛けが上手く行ったってことなんだろうな、とは思うんですよ。歌だったり、彼女のエキセントリックな魅力だったり。ただ、ぼくらのなかでは「サカナちゃんが退場しても、次がありまっせ!」っていう意識があって(笑)。うわ、こんなに人気が出ちゃったっていうのは、確かにあります。

――毎回のバトルの前に、巫女たちの歌が流れるっていうアイデアは、どこから来たんでしょう?

榎戸 もともとは、プロデューサーから出てきた話だったんだけど……。
五十嵐 巫女に歌わせるっていうのはアリだな、とは思ってたんですよ。ただそれをどう使っていくか、というのは難しくて。ゼロ時間の導入あたりから歌が入ってきて、それが戦闘のファンファーレになる……みたいな発想に、だんだん変わっていったんです。
榎戸 彼女たちは封印を司っていたわけで、その封印が解かれるときに、彼女たち自身の歌声が流れる。それは、封印が解かれた悲しみのようでもあり、封印を背負わされた者の宿命のようでもあり……。そこが上手く、マッチした感じはありますね。最初はアカペラなんだけど、ゼロ時間が始まったあたりから、途中でBGMに切り替わる。そういう使い方の妙も……いろんなことが上手くごまかせて、いいなと(笑)。

――舞台転換の役割を果たしていて、そこはこの作品のポイントのひとつになってるなという気がします。

五十嵐 大変だったのは、ゼロ時間のビジュアルですね。最初に「鏡面のような世界なのかな」って印象はあったんですけど、それをインパクトのある形に落とし込むのは、かなり苦労しました。

――今ある形になるまでは、試行錯誤があったわけですね。

五十嵐 単純に星空が広がってるだけではインパクトに欠けるし……。毎回違う星空で、なおかつそこに雲が浮いていて――最初は、普通に雲が流れてるようなイメージだったんですけど、ほら、早回しで空を映してる映像ってあるじゃないですか。あのイメージがあって、ゼロ時間自体は時間が止まってるんだけど、そのなかではものすごくスピード感、躍動感がある、っていう。

――周囲から隔絶されてる世界だ、ということですよね。

五十嵐 あと、ゼロ時間が巨大な人工物であることも、どこかで見せたかったんですけど、ただ人工物があるっていうだけでは、あまり"超文明的"な印象がない。それを幾何学模様っぽい歯車が空に浮いてることで表現する、とか。そうやってイメージを重ねていくことで、あのゼロ時間ができあがっていった、というのはありますね。
榎戸 ゼロ時間の表現は、脚本の100倍よくなってます(笑)。脚本上では「サイバディが動き出すと、時間が止まる」ってことだけしか書いてないんですよ。その時点でぼくのなかでは、地下に電気柩とか素体が転がってる巨大な空間があって、そこでそのまま戦いが始まる……っていうイメージしかなかった。

――もっと現実に寄り添ったイメージだったわけですね。

榎戸 ゼロ時間がああいう空間なんだってことを、第1話の放映を観て初めて知ったんです。「ああ、こういうことだったのか」と(笑)。しかも、仮面をつけている人間だけが、あの世界に入れるっていうタイミングがまた絶妙で。完全に止まってるモノもあれば、一旦は止まってるんだけど、仮面が光ってから動き出すモノがあったり。あの第1話をよく見ると、ゼロ時間の法則とか設定が全部わかるようになってる。すごいなあ、と思いましたね。

――脚本からさらに膨らませて、あのシーンができあがってるということですね。

榎戸 あと、なんとなくコロシアムのようなイメージがあって、最初は客席を用意しようと思ってたんです。戦ってるタクトたちの周りで、綺羅星十字団のメンバーが見てる、みたいな。ただ、そのときに監督が「水泡というか玉のなかに入って見てるんだよ」って話をしてて……告白すると、全然ピンと来てなかった(笑)。
五十嵐 あはは(笑)。
榎戸 でも映像を観ると、超科学的というか、オーバーテクノロジーを表わした表現になってて「なるほど!」と。いやホントに、第1話は驚きの連続でした(笑)。
五十嵐 そういう仕掛けの部分ですよね。見た目がちゃちになってしまうのはイヤだなと思ってて……。そういう部分が、運よく上手く働いたっていう感じがある。あれ(ゼロ時間)を作るために、みんなの力を借りた感じがありますね。

――あのゼロ時間は『STAR DRIVER』のユニークな感覚を象徴していると思います。ところで、五十嵐監督は制作中に驚かされたことはなかったですか?

五十嵐 ロボットアクションのシーンですね。毎回、ラッシュが上がってくるたびに驚かされてます(笑)。こういう仕事をやってれば、絵コンテから想像できることってあるんですよ。「こういうふうになるんだろうな」って当然、想定してるんですけど、毎回、想定を超えてくる。この人たちはスゴいなって思わされることの連続で、しかもちゃんと演出の意図を踏まえたうえで飛躍していくんですよね。そこは本当に、アニメーターの人たちの凄さを感じます。

――特技監督の村木(靖)さんも「好き放題やらせてもらってます」と、おっしゃってましたし(笑)。

五十嵐 ぼくが「観たい」と思ってる画面を作ってくれるんです。視聴者の方には申し訳ないんですけど、ダビング作業で音をつけながら、ぼくが誰よりも最初に、あのアクションを観てる。ああ、監督っていい仕事だなって(笑)。

――『STAR DRIVER』は、もちろんロボットアニメなわけですけども、と同時に青春群像劇でもあるわけですよね。第8話では、タクトとスガタが殴りあいの喧嘩をするという、びっくりするような展開があって……。

榎戸 第8話は、けっこうお気に入りです(笑)。「これがやりたかったんだ」みたいな感じがありましたね。
五十嵐 「こういうことがやりたい」っていう、ぼくと榎戸さんの思惑がガチッとハマった感じがするんですよ。あれって、いうならば"河原の決闘"じゃないですか(笑)。
榎戸 「『STAR DRIVER』は「学園ロボットアニメ」です」とは言ったものの、具体的にそれってどういうことなの? ってコアの部分が、それまでは掴みきれてなかった。これまでのロボットアニメも、青春物であることは間違いないんです。『機動戦士ガンダム』以降、ほとんどのロボットアニメでは、戦いが戦争として描かれてきたんですけど、そこでは戦争に巻き込まれた若者たちが、戦いのなかで出会った仲間たちと青春をしたり、何かを学んだり……みたいな成長が描かれてきたわけです。

――ロボットアニメの本質のひとつは、青春モノだと。

榎戸 ぼく自身もそういう作品がすごく好きなんですけど、それはそれとして『STAR DRIVER』という作品はここが違う、という軸の部分が、あの第8話で初めて描けたという気がします。つまり『STAR DRIVER』って作品は、青春の喧嘩に、地球侵略とかが巻き込まれちゃう話なんだ、と(笑)。これが『STAR DRIVER』だ! って、ちょっと思いましたね。

――タクトもそうですけど、スガタも自分のことしか考えてないですよね(笑)。

榎戸 この世界にいる本当の正義の味方って、ワタナベ・カナコとかレオン・ワタナベなんですよ。彼女たちの方が、よほど世界のことを考えてる。逆にタクトとかスガタとかワコって、ちょっと……青春極道というか。
五十嵐 あははは!(笑)
榎戸 こいつら、友達のために地球を滅ぼすのかよ、みたいな(笑)。
五十嵐 それに対して、一点の曇りもない(笑)。
榎戸 だから、殴り合いのシーンでまったく反省しないし、友情のことしか考えてない五十嵐 やりたいことのベクトルがはっきりしましたよね。それまで「こうなんだろうな」と思ってたことが「こうだ!」に変わったというか。青春バカっていう感じがね。

――また、あの「はぁはぁ」が、すごく長いじゃないですか。

榎戸 放送事故ギリギリまでやってください、ってお願いをしました(笑)。まあ、動いてるから放送事故にはならないんですけど。
五十嵐 尺が許すなら、ぼくはあと30秒くらいやりたかったんですよ(笑)。最終的には30秒くらいのシーンになりましたけど、あれが3倍くらいあってもぼくは全然OKで。

――あはは(笑)。さきほど話題に出た第10話も、一見そうとはわからなくなってますけど、要は魔球の話ですよね、昔の野球マンガにおける(笑)。あと、ミズノの「大丈夫の呪文」にしても……。

榎戸 「片身、分かちた、矢が男性」。

――そうです。今どきこんな恥ずかしいことを……みたいな感じが楽しくて。

五十嵐 プロデューサーの竹田(靑滋)さんも、「本当によう、ここまで恥ずかしいことやるなあ!」っておっしゃるくらいなんですけど(笑)。
榎戸 脚本打ち合わせのときとか、読み終わったあとの第一声がいつも「気恥ずかしい!」だもんね。

――脚本を書いてる榎戸さんとしては「恥ずかしいことをやってるんだ」って認識はないんですか?

榎戸 でも、青春ってそういうことなんじゃないの? っていうのはありますね。
五十嵐 そうですよね。それくらいがちょうどいいというか。
榎戸 タクトは多少、行き過ぎみたいなところがあるけど、みんな誰でも「大丈夫の呪文」みたいなものは持ってるんじゃないのかなって、思うんですよ。その人なりの「大丈夫の呪文」みたいなものが、きっとあるよな、と。
五十嵐 「銀河美少年で行きましょう」って言った時点から、恥ずかしさに対する衒いみたいなものは、一切捨てようと思ったんです。今回は、表現においても自分にリミッターをかけないでやってみよう、と。そう思ったところがちょっとあって。これまでは、やってて気恥ずかしくなってしまうところを、丸めてしまうところがあった。そういうのはもう止めよう。恥ずかしいなら恥ずかしいでいいじゃないか、と。

――これまでの五十嵐監督とは、ちょっと心構えの部分から違ってたわけですね。

五十嵐 前に榎戸さんから「五十嵐さんがやると、上品なフィルムになるんですよね」って言われたことがあったんですよ。「だからぼくがちょっと下品なことをやってるくらいが、バランスとしてちょうどいいんですよ」と。言われてみるとなるほど、そうだなと思ったんです。確かに、直接的な表現は好きじゃないんですけど、今回に限っては脚本に書かれてて、特化できる部分があるんなら、そこをより特化してみよう、と。

――これまで以上に大胆な感触は、確かにあります。

五十嵐 むしろ、榎戸さんから電話がかかってきて「これ、大丈夫ですか!?」って……(笑)。
榎戸 確かにありましたね(笑)。カタシロの衣裳を見たときに「これ、放送できるんですか!?」って(笑)。
五十嵐 それくらいの方が、今回の作品はちょうどいいんだろうな、と思ってるんですけどね。

――そういえば聞いた話によると、「綺羅星」の挨拶を考案されたのは……。

五十嵐 一応、ぼくです(笑)。すれ違い様にパッとできるポーズがいいなと思ったんですよ。「綺羅星!」って言葉は榎戸さんのアイデアなんですけど、短くてインパクトのある言葉ってイメージがどこかにあった。それをポーズにしてみたら、ああいう形になったという。
榎戸 ぼくが考えた言葉も短いし、監督の考えたポーズも「やあ」っていう挨拶に近いんですよね。だから、わりとみんな面白がって使ってくれてるのかな、と。

――では最後に、これから先の展開について、お伺いできるといいかなと思うんですが。

榎戸 第8話までの"気多の巫女"編と一番大きく違うのは、サカナちゃんはタクトとまったく関わらずに島を去りましたけど、日死の巫女であるミズノと彼女の妹であるマリノは、タクトたちと絡んでドラマを作っていく。そこが大きな違いで。

――それは当然、タクトたちにも影響が出てくるということですよね。

榎戸 そうですね。というか、みなさんが「早く知りたい」と言われていたタクトの過去が、ようやく明らかになります。まあ、そんなすごい秘密があるわけでもないんですけど(笑)。
五十嵐 ただ、それに付随していろいろと――たとえばタクトの口ぐせみたいなものが、どこから来てるのか、とか。そういうことがちょっとわかるというか。

――おお、それは楽しみですね!

五十嵐 あと"日死の巫女"編のクライマックス前あたりから、バニシングエージのメンバーたちが、あることをきっかけに綺羅星十字団のなかで台頭してきます。綺羅星十字団内部のパワーバランスが変わってくる。またガラッとドラマが動き出しますので、そのあたりをぜひ楽しみにしていてください。